【動物愛護について考えた】ペットは家族か?というテーマで東大教授の講演を聴いてきた

【動物愛護・猫をとりまく問題について考える】保護猫活動など
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「ペットは家族か?」を聴講しに東大へ。お堅い所かと思ったら何やら楽しかった

4月28日に文京区の東大農学部で行われた「テーマ:ペットは家族か?」という講演を聴講してきました。この講演会は日本ペットサミット(J-PETS)という団体が主催しており、私はこの会の発足目的や趣旨に深く賛同したので、実際にどんな会なのか見に行ってみようという目的もありました。

東大農学部のキャンパス。当日撮った画像はなぜか全てもや〜んとしていて、朝靄の中にいるよう・・・原因はわかりませんが(画面が汚れてた?)、突然日本の最高学府に連れて行かれて、スマホカメラが緊張した(?)のではと思われます。

朗らかで笑い上戸な楽しい東大の教授

この会は西村亮平さんという、東大の獣医外科学の教授が会長をされている団体のようで、当日先生は一番前の席にいらっしゃいました。笑い上戸な方なのか、終始楽しそうにされていて、話者が何か面白ネタを織りまぜると大きな声で笑っておられました。おそらく本当に動物を愛していらっしゃる方で、きっとこの先生のゼミは授業が楽しいだろうなぁ、獣医学教授のお仕事も天職なのだろうなぁと感じました。仕事を超えて、楽しんでいるようにお見受けしました。教授って聞くと堅苦しくて真面目な人物を想像する方が多いかもしれませんが、実は結構ユーモアがあって鷹揚でほがらかな感じの方も多いですよね。前者もいますが、私が出会った先生たちは後者が多かったように思います。 www.j-pets.jp

「ペットは家族か?」講演を聴いて感じたこと

そして、本日のお題にやっとたどりつくのですが・・・話者の山田昌弘先生は「家族ペット―ダンナよりもペットが大切!? (文春文庫) 」という本を出されていますが、この本を上梓されたのは10年以上も前のことだそうです。にも関わらず、今年になって立て続けにこのテーマで講演依頼があり驚いていました。時を経て熟成され、今また重要なテーマになったということなのかもしれません。

講演の内容は日本の社会の現状(晩婚、非婚化、核家族化、少子高齢化等)を踏まえて、「Yes,家族である」・「No,家族ではない(動物が家族なんてありえない)」どちらの立場の人も世の中に存在しますねというものでした。「社会学の観点から言えばこのお題にズバリ明快な解があるわけではない」ということなのだと思います。

「こたえのないこと」、「解明されていないこと」に向けて、様々な仮説のもとに検証していくのが学問だと思うので、講演を聴いたことでこたえが示されるわけではないだろうとは思っていました。こたえを求めているのではなく、起こっていることを捉えて自分なりに考えてみたいと思ったから参加してみたのです。そのきっかけとしてはとても良い経験だったと感じました。

なかでも印象に残ったのが、「人間は他者に頼られることで、自分の存在意義を確認できる(したい)」、「家族という存在はそのために大いに機能する」という社会学に於ける家族の定義です。以前「草食化」という言葉が流行り、その流れで「絶食化」なんて言葉も聞いたことがあります。「結婚は面倒、コスパが悪い」と若者は言っているなんて話も聞きますよね。(昨今の若者は恋愛離れが進んでいるということで、実際に教授として日々若者と接していると実感されることもあるようです。)

生涯独身率は右肩上がり、離婚率も3組に1組と高め安定で「おひとりさま」なる言葉も定着しつつある現代に於いて、「家族はとても大切だ」と考える人の割合が、戦後〜昭和の高度経済成長期より高いというお話しでした。要するに無い物ねだりで、「家族」が当たり前でありふれていた時代には気にとめる人は少なかったが、現代では全ての人が手に入れられるものではなくなったので、逆に希少価値が出て「重要、大切だ」と考える人が増えたのではということです。なんだか皮肉ですね。

つまり「人は誰しも、自分が誰かにとって必要で、(社会的に)有用な人物だと確認したい」、だから「家族という存在が必要なのだ」ということです。そこには「コスパ」「合理性」というものさしだけでは割り切れない、人間という生き物の不可解さ、奥深さ、面白さと同時に、一種弱さゆえの愛らしさや、生物として生き抜くためのしたたかささえ感じます。人間とは本当に「いとをかし」な生き物だなぁとつくづく感じました。

もや〜んとした画像ですが・・・この話者の先生は著名な社会学者で、「パラサイト・シングル」や「婚活」いう言葉の生みの親だということでした。

帰ろうとしたら遠くで何か光っています。近づいてみるとハチ公が! (そうか、ハチ公の飼い主は東大の先生だったね。)感動の名場面!

「みんなちがって、みんないい」

「ペットは家族か」という講演を聴いて、このテーマでブログを描こうとして「ペット 家族か」と検索してみたら、たくさん論争が起こっているようでした。世の中にはさまざまな価値観・考えを持った人たちが暮らしているのだから、当たり前だと思います。

でもね、中にはものすごい剣幕で相手を全否定したり、誹謗中傷と取れるような意見があったりというのも散見されて、ネットの世界でなければこの人もこんな言い方はしないのかもなー、ネットってある意味怖いもんだなーと思ったりして見てました。

なりふり構わず遮二無二、自分の意見が正しいと主張しているときの人間も、哀しいかな必死で自分の有用性をアピールしているという意味で、極端に強い承認欲求の現れなんだと思います。

そんな中でこの「ペットは家族か?」という投げかけられた疑問に対して、私が今思うことは「どちらでもいい」ということです。それは「そんなの興味ないからどっちでもいいし知らんわー」という意味ではなく、「どちらもそれぞれいい」のだと思います。

ペットを好きで家族だと言う人も、動物は家族じゃないという人も、小さな頃から夢はお嫁さんな人も、コスパが悪いから結婚したくない人も、それぞれ自分が認めてもらいたい対象がいて、それがたまたま違っているだけなんだろうと思います。(前述の社会学の流れでいけば、「誰にも認められず、存在を無視され続けても平気な人間」はいないことになってますから・・)

「自分を頼り、プラスの感情を返してくれる(承認してくれる)対象が、妻や夫でも子供でも親でも犬や猫でもインコでも職場の上司でも部下でも飲み屋のお姉さんでも、別になんでもいいんじゃないか? 本人がそれでいいのなら」というのが私のスタンスです。そして、そのスタンスや価値観は、他の人と違っていたっていいんだと思うのです。

ねこだってみんなちがって、みんないいにゃ。

老いも若きも男女の違いもなく「人間は誰かに愛されたい、認めてもらいたい」んだなというフィルターを通して見ると、意見の違いも「いとをかし」にしか見えなくなってくるから不思議です。「ペットは家族か」と聞かれて、私自身は「はい、私にとってはかけがえのない家族です」と言えます。それを否定する人がいてもそれはそれでいいのだろうと思います。否定されたことで意見を変えるか変えないか、それもまたその人の自由であると思います。

ただ、今回のテーマを考えて強く思ったことは、Diversity(ダイバーシティ)なんて使い古された言葉になってきてしまっている気がするけれど、日本が本当の意味で多様性を認められる国になるチャンスがくればいいなと思いました。超えなければならないハードルは多いけど、オリンピックに向けてそんな機運が高まるといいなぁと感じた今回の講演でした。

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